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立花B塾の課題図書を読んでの書評です。書評なんて偉そうな事は書けないですが、価値観を転換する大事なステップなのでしっかり読みました。心屋仁之助さんの”「好きなこと」だけして生きていく。“です。

概要として

全編通して示されているのは「自分で全てを抱え込むな」というメッセージ。自分がいないと世界が回らないわけではなく、そんな幻想に縛られて生きること自体が不毛で勿体ない時間の浪費だと説かれています。

生真面目に生きることがそのままストレートに評価に結びつけばそれもまたいいのかも知れません。とは云え人は人、自分のことは自分で守る、というかしっかり自分でケアをするということを二の次にしてしまうと誰にも守ってもらえない。そのことを悔いたりやっかんだりしている暇があれば自分らしく生きる方が健全であるということです。

確かに書かれていることは解ります。それでもどうしても腑に落ちないこともあります。手を抜いて生きている、自分がしたいことだけに忠実に生きてく、そういう方法を取れば社会生活は破綻してしまうのではないか、そういう考えも当然だと心屋さんは説きます。

納得のできない僕に

一番引っかかったのは四章。自分に忠実に生きていくという決心をするということは何処かで必ずその責任を背負う責任が生じます。その尻拭いを恐れるがあまり一歩を踏み出していくことを躊躇してしまう。

明るい陽の光には必ず影ができます。自由に振る舞う決心をすれば、そうではない、そうできない人から疎まれたり妬まれたりすることも必ずあるでしょう。「妬んでくるような人から好かれてはいけない」と本書では書かれています。全てを完璧にこなせる人などいないのです。誰もが全てを100%完璧にこなせて生きていけるのならば争いも諍いもないのでしょう。

あなたが人から嫌われているのではない。「嫌っている人にあなたを嫌う理由がある」だけです。嫌われているのは、嫌われたあなたの問題ではなく嫌うあの人の中に問題があるのです。

人があなたを嫌い、あなたを妬ましく思っても、あなたにはなんの関係もありません。あなたの中に理由はないからです。反省することも、自分を責める必要もありません。

これまで、そしてこれからどれだけの時間を使って生きていくことができるのか、それを考えると人間一人一人に許された時間手そんなに大したものではないのでしょう。嫌われる、疎まれる、妬まれることに一喜一憂している暇があれば自分の心に忠実に生きたい自分を見つけ出し、それを研ぎ澄ましていくことに時間を費やすほうがよっぽど健全なのだと書かれています。

僕もいっときそういう気持ちになったことも実感として覚えています。不思議なことにステージに立ち音に集中できているときだけ、まるで羽が生えたように開放される瞬間があるのです。

当たり前と感じられる人はそれで良し、そうではない人にとっては、人と共存し社会に出て生きていくことは並大抵のことではないんでしょう。

何処まで強く慣れるのかは解りません。社会人として、親として、また一アーティストとして生きていくことは、でもきっと誰にも真似出来ないものがあるはずです。

広告制作ディレクター & サウンドデザイナー。広告制作の傍ら、Ko ASHIDA・rudimentary echo・sizk名義などで楽曲制作・インタラクティブメディア制作を行っています。とにかくなんでも「つくる」のが大好き。音楽・料理・DIYなど思いついたものをどんどん作ってます。



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